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「煎豆湯(コーヒー)の由来」

コーヒーとひとくちに言っても色々ある。豆の煎り方から入れ方に至るまで、人によって店によって国によってその方法は多種多様である。 例えば、最近テレビのCMやコンビニ等でよく目にする「カフェ・オレ」と「カフェ・ラテ」、どちらも古くはコーヒー牛乳などと呼んでいた飲み物のように思うけれど、一体どこが違うのだろう…

似て非なるはこの二つなりカフェオレとカフェラテ。とある番組によるとカフェオレに使用しているコーヒーはドリップコーヒーで、カフェラテにはエスプレッソコーヒーを使用しているのだとか。ではその「コーヒー」って一体何? 180円のコーヒー、400円のコーヒー、あるファミレスでは90円、色々あるがどこが違うんだろう。疑問に思い、ある店で店員にどこが違うのか尋ねてみた。すると店員はうつむき、暫し悩んだ後で急に顔をあげて得意そうにこう言った「値段が違うんですよ。」…

昼食後に、コーヒーで一息入れようと、あるビル内を散策していると、いい感じに古びてこの上なく落ち着かせてくれそうなお店が目にとまった。漂ってくるコーヒーの良い香りに誘われて私はそのお店に入った。お店の雰囲気も手伝ってか、そこで飲むコーヒーは他のどこで飲むよりも美味しく感じられた。因みにこちらのコーヒーは1杯350円。このお店で私はある素晴らしい?ものを発見した。以下にご紹介する「煎豆湯(コーヒー)の由来」である。私が思うところの「コーヒーって一体何?」の答えたるものかどうかはさておき、店の、およそ誰も見ないであろう勘定書の裏にこれがしたためられてあるということに私は胸を打たれた。

「煎豆湯(コーヒー)の由来」

大体物の名前というものはコッヒイでもかうひいでもその本名で呼ばれる様になるのにはそのものが多く見られ使用される時代に入ってからの事でありその前には必ず異名やあだ名で呼ばれる。
長崎では南蛮茶とか唐茶といわれたものが珈琲だろうしコーヒーの事を煎豆湯と書かれたのもそれ以前の事である。

遺露留学生「山内作左衛門日記」より

慶応二年1866年二月(英国フリモウ港旅舎にて)
「朝八時過ぎ起きて持ち来られる湯にてうがいして下階に下りる。士官あり、肉を命じて食う。
豆湯コーヒィ、牛乳、鶏肉を食う。味みなよし……。麦酒一陶一シリンダ、盃一杯六遍すなり。」(十二ペンスにて一シリンダなり)

同年三月十四日(露都に入る)
「暁霧深し、朝七つすぎ国都に入る。佳麗なれど仏国に比すべからず。国都もまた川多し、ここに一時ばかり在て車をかえて出る。都を出て後、左右みな松林にて耕地を見ず。今朝煎豆湯一杯啜るのみ空腹にたえがたし」

コーヒー発祥の地・エチオピア

世界で最も古い国の一つであるエチオピアが、その発祥の地とされている。

自然森の中で何千年にもわたって生息し続けてきたエチオピアのアラビカ・コーヒー。その語源も、アビシニア高原の西南部のKaffa(カファ)地方の名に由来するという。

このエチオピアでコーヒーが発見されたのは3世紀のことだった。
ある日、山羊飼いのカルディは、低木になっていた野生の
“赤い実”を食べた後の山羊たちが、いつもより元気なことに気が付いた。カルディはこのことを僧侶たちに伝えた。すると、僧侶たちは、自分達もその“赤い実”を食べ、結果、長時間にわたる祈りの際の眠気覚ましに効果的であることを実証してみせたという。

この不思議なエネルギーをもつ“赤い実”の話は、瞬く間に近隣地域に広まり、アラビア半島からヨーロッパへ、そして中南米へと渡って世界中に広まっていった。

アフリカ大陸の中で唯一独立を貫き通した最古の歴史を持つ国、エチオピアでは、古来から伝わるコーヒーの飲み方である「コーヒー・セレモニー」が現在も日常的に行われているという。今日では、世界各国に伝播し多様な飲み方があるコーヒーだが、この「コーヒー・セレモニー」は、日常の生活に感謝する意を示す表現として、唯一エチオピアにのみ残る貴重な文化として、今に受け継がれている。

エチオピア連邦民主主義共和国、この国で収穫されるコーヒー豆は「モカ」の名で知られている。アラビア半島にあるモカ港から輸出していたので、その名が付いた。深焙煎でコクと苦みの強いコーヒーを好む私は、ミディアム・ローストで、軽く酸味の強い「モカ」はあまり飲まないが、エチオピアの歴史と自然の美しさを思う時、この「モカ」を味わいたくなる。

コーヒー史・喫茶店のルーツ

わが国で最初にできた本格的は喫茶店は、鄭永慶(ていえいけい)による「可否茶館」(こーひーさかん)で、1888年(明治21年)東京下谷黒門町で開店した。
西洋風にペンキをぬった外装にガス燈を灯し、当時としてはかなりモダンなつくりだった。

当時のコーヒーの値段は1杯が1銭5厘、ミルク入りだと2銭で、かけそば1杯が8厘の時代としては、かなりハイカラだった。

しかし、約4年後にはなぜか店を閉めてしまい(一説には、その豪華さに当時の日本人が馴染めなかったためと言われている)、この日本で喫茶店が定着しはじめるのは、明治35年以降のことで、喫茶店の先駆者として、日本のコーヒー史にあるのは「カフェ・プランタン」で、明治44年3月に東京の銀座にオープンしたとあり、造作:古宇田実・岡田信一郎両氏の指導で改造し、当時若者だった洋画家の青山熊治ら手伝ったとされている。

この洋画家の青山熊治こそが、現在の「珈琲の青山」の青山社長の叔父さんなのである。コーヒーに魅せられた洋画家の叔父さんの血統が、現在の青山社長につながっているとは面白い。

私が、大好きでよく利用するコーヒー店「ドトールコーヒーショップ」、その創業者がコーヒーに魅せられて、18歳でコーヒー豆焙煎卸の会社に入社したのは昭和31年(1956年)というから、喫茶店というものが日本に定着しはじめた、そのずっと後のことになる。翌1957年(昭和32年)、彼はその会社が初めて出店する直営喫茶店の店長に抜擢された。昭和32年といえば、その5月には東京・有楽町に「そごう百貨店」がオープンしている。

「ドトールコーヒーショップ」といえば、現在ではすっかり定着しているセルフスタイルのコーヒー店の一つだが、日本で初めてのセルフスタイルのコーヒー店として誕生したのは、この「ドトールコーヒーショップ」で、1980年(昭和55年)のことだった。

コーヒー歴史年表

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